【死生に関するいくつかの断想】(小泉八雲)
(以下URLで概要・本文にジャンプ)
(以下、部分抜粋)
・水神様は、屋敷の持ち主が清めについても決まりをしっかり守っていれば、
井戸の水を甘露にして、かつ冷たく保って、あらゆる井戸を守ってくれる。
これらのおきてを破った者には病や死が訪れるという。
稀には、この神は蛇の姿となって現れることがある。
・長いこと雨が降らなければ、屋根は太陽の熱で火が付くだろうと考えられていた。
・泥棒も納得したと見えて、「そりぁそうたいな。そんなら、これは
持ってかんたい。」と言った。
・その昔、怒った群衆が略奪して、町の米問屋の住家や米蔵を打ち壊した。
小判を含むその金銭は通りにばら撒かれた。
暴徒たちは――粗野だが正直な農民たちで――それを欲しなかった。
彼らが望んだのは打ちこわしであって、盗むことではなかった。
・彼は、手箱を取り出し、硯を用意し、墨を摺り、良い筆を執って、
注意深く選んだ紙に、五つの辞世の歌を綴った。
つぎが最後のものである。
「冥途より郵電報があるのなら 早く安着申し送らん」
そして、喉をりっぱにかき切った。
・日本の女性は、幾度となく赦すことができ、またいじらしくも何度も自分を
犠牲にすることができる。ところが、ある心の琴線に触れると、怒りの激情の炎に
駆られるよりは、かえって赦してしまう。
そうすると、突如として、か弱そうな女性の中に、信じられないほどの胆力が
据わってくるのである。それは、本心からの復讐というべきもので、
ぞっとするほどの、また冷静であくなき決意である。
また、男性の驚くべき自己抑制や忍耐の下には、触れるととても危険で、
堅固なものが存在している。それに容易に触れようものなら、許されはしない。
憤りは単なる危険によってはめったに引き起こされないが、
動機は激しく吟味される。
つまり、過ちは許されるが、意図的な悪意は決して赦されない。