5分で読書

すぐに本の概要把握、またはおさらい。日記あり。

自活ニートになりたい

5月は1日だけ仕事をして、あとの30日は仕事をしていない。有給を30日分まるまる消化して、次の転職先に行くからだ。この30日でやった特筆すべきことのひとつに、「ニート界隈に出入りする。」というものがある。

具体的には、山奥ニート村3泊4日・池袋エデン利用・レンタルニート利用などである。ニート界隈ではないが、ホームレス生活補助NPOへの参加未遂などもあった。

 

ニート界隈に出入りした理由>

私は、「あるコミュニティへの強制参加により生きていくことが強制される状況」というのを少なくできればいいなと思っている。言い換えると、「仕事したいときは仕事して、仕事しないときはニートをしながら生きていけるといいなあ」と思っている。学校も同じく。

 

だが、そのための方法はわからない。なので、それらを実践している場(①ニート界隈への出入り)を行った。結果的にはだいたい「楽しかった」。「ふらふらニートっぽく生きていけるんだなあ」とも思ったが、他にもいろいろなことを思った。

 

結果的に、今は「自分で会社に雇われずに自活できるようにしたいなあ」と思っている。自分がニートっぽく生きているうえで「ニートっぽく生きていけるための環境整備」の仕事をしたらものすごくかっこいいからだ。だからまずはニートを目指そうと思う。

 

<今後どうするか>

具体的には、

1 仕事をやめた後での年収の設定

2 仕事をやめた後での生活状況の想定(最低レベル・理想レベルの両方)

3 仕事内容の設定

4 仕事をやめた後に参加すべきコミュニティの想定

 (フリーランスニート・人事系?)

 

をしなければなと思う。

1 300万円あったら楽しそう。

2 週3日5時間くらい仕事・あとは自由時間。

これは、今はものすごくできる人か、収入低くても良いという方向に振り切っている人しか実現できないと思うのだが、私のようなちょっと優柔不断なグズ野郎でもそういうふうに仕事できるように何とかしていきたい。どうやって何とかしようか…

3・4 わからない。

 

ニートっぽく生きていけるための環境整備をしたい理由(学生版)>

 

時間と場所とやることを指定されると、面白いことができる時間が減るから。

私の学校生活(義務教育期間のうち、中学・高校)は曖昧模糊としていて、どうすればわからないけど学校に行く決意だけは固めたから行くという状況だった。もちろん楽しいことはあった。「学校が嫌だから学校に行かなくてもよいようにしたい」というわけではない。

「行かなくてもいい」という選択肢を最初から消してしまうことは、あまり健康に良くないのだ。本来ならば、「学校に行くのか行かないのか」は生徒が決めるべきことで、学校が決めるべきことではない。なぜ義務教育が「義務」なのかわからない。本来的な意味合いはあったのだろうが、それは形骸化しているように感じる。今後、おそらくは「義務」がどんどん形骸化していくだろう社会のなかで、義務教育の下に生徒の行動を制約するのはかっこよくない。

 

<なぜ生徒はテレワーク?できないし、授業もすっ飛ばせないのか>

飛躍するが、これはたぶんベーシックインカムを導入すべきかという議論と根底が少し似ていると思う。高校生が学校に行かなければならない理由は、恐らくだが性悪説に基づいていて、「学校での檻の中という義務教育を課さなければ、勉強せず遊び惚け、将来を無駄にする輩が出てくるだろう」ということだと思う。

他方、ベーシックインカムも同様に根強い性悪説によってつぶされた。いろんな国(イギリス、アメリカ、カナダ等)が歴史的に導入を試みたが、失敗に終わった。一番問題なのはその理由よりもそれをつぶした方法が適切ではなかったことだったのだと思う。

 

具体的には、「財源を確保できず中断し、データがとれないまま終了」したり(カナダ)、うそっぱちのデータを持ってきて「ベーシックインカムを導入すると、みんな働かなくなって人間じゃなくなるよ!」と主張し、反対派が多くなり終了した(イギリス、アメリカ)というもの。

だが、導入実験の結果ではホームレスが半減したり、市の支出が大幅に減ったりと、いいことがたくさんあった。導入実験にかかわった職員のコメントとしては、「貧しい者(ホームレス等)は配布された資金を使い果たすかと思われたが、彼らは自分に足りないものをよく知っていた。彼らは衣服・食事にまず金を使い、これまでではじめて身ぎれいにするという行為を行った。その後、自分で仕事を手に入れるための施設(ガーデニング実習教室等)に通い始めた。」のだと言う。そして、ベーシックインカム制度を行ったほうが社会福祉制度下の生活保護職業訓練等を行うよりもずっと安上がりだったと言う。

 

同じことが少なくとも学校にも言えるのではないだろうか。

生徒はテレワーク可能、好きな時に登校。必要と思う授業を受ける。

学生に限らず、人は他人の言葉から何も学ばない。自分で勝手に学ぶ。

 

蛇足だが、村上龍の「希望の国エクソダス」では、学校の生徒がたちがもはや「世間で仕事をしていくための方法を教えてくれない学校という組織には意味がない」とし、学校に対して襲撃を仕掛ける。結果的に、学校のそれまでの教育内容は崩壊し、子供たちが「本当に意味があると思う」教育を教えるという内容にシフトする。登校時間や登校回数も任意だったと思う。活発な世界を描いた本だったと思う。

 

オーガニックと種田山頭火【句集 草木塔】 

 

草木塔

草木塔

 

 

 

◇ピックアップ詩歌◇

・月かげのまんなかをもどる(『其中一人』)

しげるそこは死人を焼くところ(『帰庵』)

・雷とどろくやふくいくとして花のましろ(『半島米を常食として』)

・山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬

あしたもよろし ゆふべもよろし(『山行水行』)

 

◇概要◇

究極の貧困生活(経済的に見れば)をした俳人の歌集。

種田山頭火とは、俳人。短文のような俳句や5・7・5を無視した俳句を書く(自由律俳句と呼ばれる)。

来歴は、大学を精神衰弱で中退、家業が経営破綻し弟が自殺、離婚後に曹洞宗の寺で雲水として西日本を行脚。山に庵を立てるも自殺未遂。別の庵を立て、そこで逝去。

 

作品としては、「ただ流れていく時間・風景のさま」を描いたものが多い。

主題は「はかなさ」であるように感じる。「死」と「自然」をテーマにしている。

ぼくとつとしている人物だったのだろう。素朴・愚直・繊細。堅牢。

曹洞宗の宗祖・道元はこよなく自然を愛し、たくさんの俳句を書いた。

曹洞宗と自然の関係性についても別記事にて記述したい)

 

社会構造に対する思想や感情が驚くほど少ないことに驚き、羨望を覚える。

人に会った体験は、「自然風景」の一部として詩歌に書いているように見える。

 

◇雑感(ナチュラル志向ってなんかむかつくけど私も好き それがむかつく)◇

 

・前提として、私はおそらく、「ナチュラル志向」に分類される人間だと思う。(ナチュラル志向=自然回帰志向だと勝手に定義している)山にこもるのも海をぼーっと見るのも、とても好きだ。狩猟もしてみたい。ボルボックスに恋をしたので農学部に進学した。

 

種田山頭火は究極のオーガニック生活を実施したのだと思う。

現代の自然回帰の志向は、生きるに困らない金を持つ人々が「貧困でないこと」を絶対条件に、「金を使って自然という要素を生活の中で再定義する」という現象に思える。

 

そこで再吸収された「オーガニック」は「飼い殺しの自然」であり、「文化におさまるためにうまく、高度に強調された自然」であり、「私たちが自然に受け入れられるようにデフォルメされた現象」であり、「あらゆる危険を出来る限りそぎ落とされた現象」であるために、それはすでに「自然」とは言えない。

 

だから、再獲得された「自然」の中で、危険度がより高いものはより「スリリングなもの」として認知される。また、だから、私たちはデフォルメされていない自然を「おそろしくすばらしいもの」として感じる。それは生きる意味を再認知させることもある。神を認知させることもあるらしい。

 

「自然」を畏怖の対象ではなく「人間が活用できるもの」として捉え、単に「従順なもの(=かわいいもの・友愛を感じるもの)」としてカテゴライズした時点で、私たちは自然回帰することは絶対にできない。

 

マルクスは、「貧しいものは自然との親和性が高い」とし、「金を十分に得られない代わりに、自然とのつながりを断固として重要視し、棄損されないようにする。それは、貧しいものの権利である。彼らは自然が自分の仕事・身体と原始的な形で強固に結びついており、それが彼らに深い喜びをもたらしてくれることを理解しているからだ」と言っていた(確か)。

 

私たちは経済的にはマルクスの言う「貧しいもの」に区分されるのだろうか。デスクワークでは彼の言う「自然」と結びつくことができないから、代わりにプライベートでそれを代替するのだろうか。キャンプをしたり、スキーをしたり、または部屋にポトスライムを飾ったりするのだろうか。

 

本当にオーガニック生活をしたいのならば、十分条件としては宗教がまだ現存しており、神が信じられており、生活様式にその宗教が非常に色濃く反映されており、その神が設置された理由が「自然への畏怖」であるという場所ならばよいのだろうか。

 

脱資本主義をしたアフリカの部落に行けばよいのかもしれない。アメリカのアーミッシュに帰属すればオーガニックになるということではたぶんないと思う。これをうまくとらえられないのは、もう私には「自然」が定義するところがよくわからないからだ。私は生まれてから文化に適合しようとしなかった瞬間は一度もないのだろうと思う。

 

自然はずっと見えなかったし、見る必要がなかった。感覚的に言えば、目に見える程度に、過度に危険な自然はもうすでに人間に征服されかけている。残ったのは目には見えないが危険な自然であるように思う。

 

最近、哲学書と言われるものをはじめて読み始めて、本当に驚いたのは、昔といまの用語の定義や主張の文脈が明らかに「もう私が本を読んでも理解を不能にするほどに」かけ離れているということだ。これが、哲学書を読む速度が、現代書や小説・随筆を読むのに比べて大幅に遅い理由のひとつだと思う。

ニーチェにおける「文化的」とは確か、「ヨーロッパ然とした」というものだと書かれていた。世界はヨーロッパからできていたのだろうか。

彼は「じめじめとした(人として・組織として)」という単語を想起するときに、「東洋的なものをどうしても想起せずにはいられない」という。何か東洋人にいやがらせでもされたんだろうか。

それとも気候と体調をむすびつけ、体調と精神性は乖離できないものと考えていた彼は、「東洋はじめじめとした気候だから」そう思ったのだろうか。

 

 

・【以下、抜粋】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

<自嘲>(※部分抜粋)

うしろすがたのしぐれてゆくか

鉄鉢の中へも霰(あられ)

いつまでも旅することの爪をきる

 

大浦天主堂

冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ

ほろりとぬけた歯ではある

寒い雲がいそぐ

ふるさとは速くして木の芽

よい湯からよい月へ出た

はや芽吹く樹で啼いてゐる

笠へぽつとり椿だった

しづかな道となりどくだみの芽

蕨(わらび)がもう売られてゐる

朝からの騒音へ長い橋かかる

ここにおちつき草萌ゆる

いただいて足りて一人の箸をおく

しぐるる土をふみしめてゆく

秋風の石を拾ふ

今日の道のたんぽぽ咲いた

 

<其中一人>

(中略)

雪空の最後の一つをもぐ

其中雪ふる一人として火を焚く

ぬくい日の、まだ食べるものはある

月かげのまんなかをもどる

雪へ雪ふるしづけさにをる

雪ふる一人一人ゆく

落葉あたたかうして藪柑子

茶の木にかこまれそこはかとないくらし

 

<或る友に>

(中略)

もう暮れる火の燃え立つなり

人が来たよな琵琶の葉のおちるだけ

けふは蕗をつみ蕗をたべ

何とかしたい草の葉のそよげどもすずめをどるやたんぽぽちるや

もう明けさうな窓あけて青葉

ながい毛がしらが

こころすなほに御飯がふいた

てふてふうらからおもてへひらひら

やつぱり一人がよろしい雑草

けふもいちにち誰も来なかつたほうたる

すッぱだかへとんぼとまらうとするか

かさりこそり音させて鳴かぬ虫がきた

 

川棚温泉>(※部分抜粋)

石をまつり水のわくところ

いそいでもどるかなかなかなかな

山のいちにち蟻もあるいてゐる

 

<川棚を去る>

けふはおわかれの糸瓜がぶらり

ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ

うごいてみのむしだつたよ

いちじくの葉かげあるおべんたうを待つてゐる

水をへだててをなごやの灯がまたたきだした

かすんでかさなつて山がふるさと

春風の鉢の子一つ

わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

 

<帰庵>

ひさびさもどれば筍にょきにょき

びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり

はれたりふつたり青田になつた

しげるそこは死人を焼くところ

朝露しつとり行きたい方へ行く

ほととぎすあすはあの山こえて行かう

笠をぬぎしみじみとぬれ

 

<家をもたない秋がふかうなるばかり>

行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。

私はあてもなく果もなくさまよいあるいてゐたが、人つひに狐ならず、

欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。

昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、

そこに移り住むことが出来たのである。

曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 

私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。

今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。

明日は水が酒よりも好きになるかもしれない。

(以下略)

 

<山行水行>

山あれば山を観る

雨の日は雨を聴く

春夏秋冬

あしたもよろし

ゆふべもよろし

 

炎天かくすところなく水のながれくる

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ

待つでも待たぬでもない雑草の月あかり

(中略)

夕立が洗つていつた茄子をもぐ

こほろぎよあすの米だけはある

(中略)

しようしようとふる水をくむ

一つもいで御飯にしよう

ふと子のことを百舌鳥が啼く

山のあなたへお日さま見送り御飯にする

(以下略)

 

<鴉>

水のうまさを蛙鳴く

寝床まで月を入れ寝るとする

生えて墓場の、咲いてうつくしや

(以下略)

 

<半島米を常食として>

米の黒さもたのもしく洗ふ

へそが汗ためてゐる

降りさうなおとなも大根蒔いてゐる

むすめと母の蓮さげてくる

雷とどろくやふくいくとして花のましろ

風のなか米もらひに行く

日が山に、山から月が、柿の実たわわ

萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

鳴いてきりぎりす生きてはゐる

ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

身のまはりは日に日に好きな草が咲く

 

<老遍路>

死ねない手がふる鈴をふる

とほくちかくどこかのおくで鳴いてゐる

 

<わが其中庵も>

壁がくづれてそこから蔓草

それは詩の前てふてふの舞

月は見えない月あかりの水まんまん

 

<十一月、湯田の風来居に移る>

市脇て啼かない鳥である

空きもをはりの蠅となりはひあるく

水のゆふべのすこし波立つ

燃えに燃ゆる日なりうつくしく

 

天竜川をさかのぼる>

水音けふもひとり旅ゆく

山のしづけさは白い花

 

若水君と友に高遠城址へ、緑平老に一句>

なるほど信濃の月が出ている

 

<帰居>

しみじみしづかな机の塵

朝の土をもくもくもたげてもぐらもち

 

<雨乞>

燃ゆる日の、雨ふらしめと燃えさかる

どこにも水がない枯田汗してはたらく

(中略)

月は澄みわたり刑務所のまうへ

 

 

 

【レヴィナス 何のために生きるのか】(小泉義之)①

 

【概要】

人間は、生まれて、生んで、死んでゆく。この事実をどう受け止めるか。生物としての人間の運命とは、いかなるものか。生殖の存在論とは何か。90年代に流行したレヴィナス論から離れ、レヴィナスとともに、人生の意味と人生の目的について根底から考え直す。

第一章 自分のために生きる
第二章 他者のために生きる
第三章 来るべき他者のために

 

(以上、アマゾン商品説明より抜粋)

 

<第一章 はじめに>

 

・何のために生きるのかなんてぜいたくな悩みだと批判する人がいる。

…(略)…レヴィナスは、その通りだと認める。

さしたる不安もなく生活を送っている人が、それでも立てなくなるし

立てざるを得なくなるのが、何のために生きるのかという問いであると認めてしまう

 

意味とは、存在そのものを正当化できるような知恵、あるいは少なくとも、

存在の正当化と存在の正義に不安を感ずるような知恵のようなことではないだろうか

人生の意味に気を取られていると語る男性と女性は、日常的に、そんな知恵の探求に

駆り立てられているのではないだろうか。

 

・ところで、何のために生きるのかという問いに、答えはないと、あるいは、本当の

答えはないと決めてかかる人がいる。…(略)…レヴィナスは、本当の答えはあると主張する。

 

…(略)…たしかに、私たちは、何のために生きるのかなどとはめったに考えない。

そんな問いを考えなくとも、そんな問いに答えなくとも、私たちは生きてきたし生きているし生きていけるだろう。しかし、だとするなら、私たちは生きることにおいて、何のために生きるのかといいう問いにすでに答えてしまっているのではないか

 

…(略)…いかなる答えをとろうとも、私たちは生きてしまっている。

答えが出なくとも、問いは無意味と思っても、生きるのをやめて死んでしまうことは

ほとんどない。この事実は重い

 

何のために生きるのかという問いを立てることは、この厳粛な事実を深く考えるためのひとつの通路である。…(略)…おそらく、私たちは、問いに対する答えそのものを、身をもって体言化し肉体化して生きている。いわば、答えは、身体ないし肉体に書き込まれている

 

…(略)…そこから帰結することをひとつだけ記しておこう。何のために生きるのかを考えるために人間は生きているのだとしよう。すると、人間は、何のために生きるのかを考えるために生きる人間を、生みながら死んでゆくことになる

 

 

<第一章 自分のために生きる>

 

・何もかもがどうでもよくなることがある。

…(略)…こんな状態は様々な仕方で現れるが、レヴィナスは、第二次世界大戦のさなかに書かれた『実存から実存者へ』において、その三つのあらわれ、倦怠・怠惰・疲労を分析している。

先ず留意すべきは、倦怠・怠惰に陥った人間も、身体的に動くし動かざるを得ないということである。パンの買い出しのために立ち上がる。水を飲むために台所に足を踏み入れる。ゲームのスイッチを押すために指を動かす。たくさんの行為を実行する。

行為とは、何らかの目的を抱き、その実現のために身体的に動くことである

 

だから、行為主体は、行為の目的を欲求し、行為の目的を実現するには何をすればよいか分かっている。…(略)…実際、便器に腰掛けるという行為は、学校や会社に出かけるという行為と、構造的には何の違いもない。身体的な行為としては、何の優劣の差もない。

 

そもそも、倦怠・怠惰に陥った人間は、何に疲れ果てているのだろうか。

…(略)…しかし、そのままでいいんだよと肯定されて自ら納得しても、疲れ果てている。その程度の工程ではとても赦されはしないかのように、疲れ果てている。

 

…(略)…とすれば、倦怠・怠惰に陥った人間は、あれこれの身体的行為や実践に疲れ果てているのではなく、「実存そのもの」に、生存そのものに疲れ果てているのだ。

自分が生きているというそのことに疲れ果てているのだ

これは、学校や会社に出かけられる人にも、ときおり起こることだ。

 

学校や会社が嫌なわけではないし、そこに幸せが欠けているわけでもないが、

違和を感じてしまう。こんなことを続けていいんだろうか。こんなところに居てもいいんだろうか。こんなもののために自分は生まれてきたのだろうか。学校や会社でうまくやって生きているというそのことに違和を感ずるのだ。

 

『…(略)…怠惰とは、重荷としての生存に対する、無力で喜びのない嫌悪である。怠惰とは、生きることの怖れである。(中略)怠惰は生存を放り出すことを欲する。ランボーの言う「皆で演ずる茶番劇」が自分抜きで演じられることを欲する。怠惰は存在の否定であるが、それでもやはり存在の遂行である。怠惰の苦い本質は怠惰が脱走であることから由来するが、そのことは契約のあることの証しである。

(『実存から実存者へ』四九~五十ページ)

 

【ルウベンスの偽画】(堀辰雄)

 

ルウベンスの偽画

ルウベンスの偽画

 

 

【本文リンク(青空文庫)】

堀辰雄 ルウベンスの偽画

 

【本作の概要】

堀辰雄が自ら処女作と呼んでいる作品で、21歳のときに過ごした軽井沢での美しい印象を主体にして、恋愛心理を分析的に描いた作品である

夏が終わりつつある高原避暑地を舞台に、密かに「ルウベンスの偽画」と名付けて恋慕っている「彼女」と、「刺青をしたのように美しいお嬢さん」への交錯した青年の恋愛の心理を綴った物語。関係が思うように進まない「自分の目の前にいる少女」と、思い描く理想の「心像の少女」への恋愛心理の分析や意識の流れが、堀独特の特徴的な美しい文体で描かれている

『ルウベンスの偽画』は、堀が初めて訪れた軽井沢の鮮烈な印象と、その2年後の夏に滞在した思い出を美化して作品化したものだが、堀は自作について、ボードレール散文詩『スープと雲』の「雲」のようなものへの思いを凝縮させて成ったものが『ルウベンスの偽画』であるとしている

(以上、Wikipediaより転載)

ボードレールを参照していたのか…。)

 

【部分抜粋】

(※ 部分抜粋の対象は「本ブログ作成者が特に感動した箇所」となっている)

 

・彼もホテルとは反対の方向のその小径へ曲った。

その小径には彼女きりしか歩いていないのである。

彼は彼女に声をかけようとして何故だか躊躇をした。

すると彼は急に変な気持ちになりだした。

 

彼はすべてのものを水の中でのように空気の中で感ずるのである

たいへん歩きにくい。おもわず魚のようなものをふんづける。

彼の貝殻の耳をかすめてゆく小さい魚もいる。自転車のようなものもある。

また犬が吠えたり、鶏が泣いたりするのが、はるかな水の表面からのように

聞えてくる。そして木の葉がふれあっているのか、水が舐めあっているのか、

そういうかすかな音がたえず頭の上のほうでしている

 

彼はもう彼女に声をかけなければいけないと思う。

が、そう思うだけで、彼は自分の口がコルクで栓をされているように感ずる。

だんだん頭の上でざわざわいう音が激しくなる。

ふと彼はむこうに見覚えのある紅殻色のバンガロオを見る。

そのバンガロオにまわりに緑の茂みがあり、その中へ彼女の姿が消えてゆく……

 

・彼女の顔はクラシックの美しさを持っていた。

その薔薇の皮膚は少し重たそうであった。

そうして笑うときはそこにただ笑いが漂うようであった

彼はいつもこっそりと彼女を「ルウベンスの偽画」と呼んでいた。

 

・しかし彼はその自転車の中に残っていた唾のことは言わないでしまった。

…(略)…その時から少しずつ彼は吃(ども)るように見えた。

そして彼はもう不器用にしか話せなかった

一方、そういう彼を彼女は持て余すのだった。

 

・それは去年の夏、ずっと彼女のそばに附添ってテニスやダンスの相手をしていた

混血児らしい青年であった。…(略)…唯、そのすれちがおうとした瞬間、その青年の顔は

悪い硝子を透してみるように歪んだ。それからこっそりとお嬢さんの方を振り向いた。

その顔にはいかにも苦にがしいような表情が浮んでいた

 

・ところが現在のように、自分が彼女たちの前にいる瞬間は、彼は

ただそのことだけですっかり満足してしま うのだ。…(略)…それというのも、

自分が彼女たちの前にいるのだということを出来るだけ生き生きと感じていたいために、

その間中、彼はその他のあらゆることを、――果してその心像(イマアジュ)が

本当の彼女によく似ているかどうかという前日からの宿題さえも、すっかり犠牲にして

しまうからだった

 

 

【琵琶伝】(泉鏡花)ネタばれあり

 

琵琶伝

琵琶伝

 

 

(以下URLで本文にジャンプ)

図書カード:琵琶伝

※概要:兵役間近の男性(謙三郎)がすでに婚約相手がいる女性(お通)

に会いに行く。なお、この時点で両者両想い。

だがお通の婚約者(近藤)にそれがバレて、色々ある。お通が発狂する。

 

(以下、部分抜粋)

※旧かな使いについては、一部当ブログ作成者により現代語に変更の部分あり。

※激しいネタばれあり。

 

・「おや!何をなさいます。」と謙三郎はせわしく問いたり。

叔母は此方(こなた)を見も返らで、琵琶の行方をみまもりつつ、縁側に立ちたるが、

あわれ消残る樹間(このま)の雪か、緑翠(りょくすい)暗きあたり白き鸚鵡の

見え隠れに、蜩(ひぐらし)一声鳴きける時、手をもって涙を拭いつつ

徐(しずか)に謙三郎を顧みたり。

 

・ひたすら頭(こうべ)を打ち振りて、

「何が欠けようとも構わないよ、何が何でも可いんだから、これたった一目、後生だ。

頼む、逢って行ってやっておくれ。」

「でもそれだけは。」謙三郎のなお辞するに、果(はて)は怒りて血相変え、

(お通の母親により、謙三郎にお通に会いに行くよう懇願される) 

 

・「可(よ)うございます。何とでもいたしてきっと逢って参りましょう。」

謂われて叔母は振仰向(うちふりむ)き、さも嬉しげに見えたるが、

謙三郎の顔の色の尋常(ただ)ならざるを危ぶみて、

「お前、可いのかい。何ともありゃしないかね。」

「いや、お憂慮(きづかい)には及びません。」

といと淋しげに微笑みぬ。

(それにより謙三郎は行くと決めたが、一方で既に覚悟を決めている) 

 

・お通は張もなく崩折れつつ、といきをつきて、悲しげに、

「老夫(じい)や、世話を焼かすねえ。堪忍しておくれ、よう、老夫や。」

と身を持余せるかのごとく、肘を枕に寝たおれたる、身体は綿とぞ思われける。

伝内はこの一言を聞くと斉(ひと)しく、窪める両眼に涙を浮べ、

一座退りて手をこまぬき、拳を握りてものいわず。鐘声遠く夜は更けたり。

(家の番人である老夫が謙三郎に合わせてくれないのでお通がやきもきしている)

 

・「実はね、叔母さんが、謂うから、仕方がないように、いっていたけれど、

逢いたくッて、実はね、私が。」

といいかれる時、犬二三頭高く吠えて、謙三郎を囲めるならんか、

叱ッ叱ッと追うが聞えつ。

更に低まりたる音調の、風なき夜半に弱弱しく、

実はね、叔母さんに無理を謂って、逢わねばならないようにしてもらいたかった。

だからね、私にどんなことがあろうとも叔母さんが気にかけないように。」

と、謂う折しも凄まじく大戸にぶつかる音あり。 

 

・駆寄るお通を伝内は見をもて謙三郎にへだてつつ、謙三郎のよろめきながら内に

入らんとあせるを遮り、「うんや、そうやすやすとは入れねえだ、旦那様のいいつけで

三原伝内が番する間(うち)は、敷居も跨(また)がすこっちゃあねえ。

断(たっ)て入るなら吾(おれ)を殺せ。さあ、すっぱりとえぐらっしゃい。

ええ、何を愚図々々、もうお前様方のように思い詰りゃ、これ、

人一人殺されねえことあねえ筈だ。吾、はあ、自分で腹あ突いちゃあ、

旦那様に済まねえだ。済まねえから、死なねえだ。死なねえうちは邪魔アするだ。

この邪魔者を殺さっしゃい。七十になる老夫(おやじ)だ。

殺し惜くもねえでないか。さあ、やらっしゃい。ええ!埒のあかぬ。」

(謙三郎の前に伝内=老父が立ち、「ここを通りたければ俺を倒しな!」と言う) 

 

・出征に際して脱営せしと、人を殺せし罪とをもて、勿論謙三郎は銃殺されたり。

謙三郎の死したる後も、清川の家における居慣れし八畳の彼が書斎は、

依然として旧態を更めざりき。

秋の松にもなりたれば、藤筵(とうむしろ)に代うるに秋野の錦を浮織にせる、

花毛氈(はなもうせん)をもってして、いと華々しく敷詰めたり。

(ここからしばらく続く風景描写が泉鏡花らしく、繊細で物悲しく最高)

 

・お通は琵琶ぞと思いしなる、名を呼ぶ声にさまよい出でて、思わず謙三郎の

墳墓なる埋葬地の間近に来り、心着けば土饅頭(どまんじゅう)のいまだ

新らしく見ゆるにぞ、激しく往時を追懐して、無念、愛惜(あいじゃく)、絶望、悲惨、

そのひとつだもなおよく人を殺すに足る、いろいろの感情に胸をうたれつ。

就中(なかんずく)重隆が執念(しゅうね)き復讐の企(くわだて)にて、

意中の人の銃殺さるるを、眼前我身に見せしめ、当時の無念禁ずるあたわず。

婦人(おんな)の意地と、張とのために、勉めて忍びし鬱憤の、幾十倍もの

勢(いきおい)をもって今満身の血を炙るにぞ、面(おもて)は蒼ざめ紅の唇

白歯(しらは)にくいしばりて、ほとんどその身を忘るる折から、見遣る彼方の

薄原(すすきはら)より丈高き人物顕れたり。

 

 

【死生に関するいくつかの断想】(小泉八雲)

 

 

『小泉八雲作品集・54作品⇒1冊』

『小泉八雲作品集・54作品⇒1冊』

 

 

(以下URLで概要・本文にジャンプ)

図書カード:死生に関するいくつかの断想

 

(以下、部分抜粋)

 

・水神様は、屋敷の持ち主が清めについても決まりをしっかり守っていれば、

井戸の水を甘露にして、かつ冷たく保って、あらゆる井戸を守ってくれる。

これらのおきてを破った者には病や死が訪れるという。

稀には、この神は蛇の姿となって現れることがある。

 

・長いこと雨が降らなければ、屋根は太陽の熱で火が付くだろうと考えられていた。

 

・泥棒も納得したと見えて、「そりぁそうたいな。そんなら、これは

持ってかんたい。」と言った。

 

・その昔、怒った群衆が略奪して、町の米問屋の住家や米蔵を打ち壊した。

小判を含むその金銭は通りにばら撒かれた。

暴徒たちは――粗野だが正直な農民たちで――それを欲しなかった。

彼らが望んだのは打ちこわしであって、盗むことではなかった。

 

・彼は、手箱を取り出し、硯を用意し、墨を摺り、良い筆を執って、

注意深く選んだ紙に、五つの辞世の歌を綴った。

つぎが最後のものである。

「冥途より郵電報があるのなら 早く安着申し送らん」

そして、喉をりっぱにかき切った。

 

・日本の女性は、幾度となく赦すことができ、またいじらしくも何度も自分を

犠牲にすることができる。ところが、ある心の琴線に触れると、怒りの激情の炎に

駆られるよりは、かえって赦してしまう。

 

そうすると、突如として、か弱そうな女性の中に、信じられないほどの胆力が

据わってくるのである。それは、本心からの復讐というべきもので、

ぞっとするほどの、また冷静であくなき決意である。

 

また、男性の驚くべき自己抑制や忍耐の下には、触れるととても危険で、

堅固なものが存在している。それに容易に触れようものなら、許されはしない。

憤りは単なる危険によってはめったに引き起こされないが、

動機は激しく吟味される。

つまり、過ちは許されるが、意図的な悪意は決して赦されない。