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オーガニックと種田山頭火【句集 草木塔】 

 

草木塔

草木塔

 

 

 

◇ピックアップ詩歌◇

・月かげのまんなかをもどる(『其中一人』)

しげるそこは死人を焼くところ(『帰庵』)

・雷とどろくやふくいくとして花のましろ(『半島米を常食として』)

・山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬

あしたもよろし ゆふべもよろし(『山行水行』)

 

◇概要◇

究極の貧困生活(経済的に見れば)をした俳人の歌集。

種田山頭火とは、俳人。短文のような俳句や5・7・5を無視した俳句を書く(自由律俳句と呼ばれる)。

来歴は、大学を精神衰弱で中退、家業が経営破綻し弟が自殺、離婚後に曹洞宗の寺で雲水として西日本を行脚。山に庵を立てるも自殺未遂。別の庵を立て、そこで逝去。

 

作品としては、「ただ流れていく時間・風景のさま」を描いたものが多い。

主題は「はかなさ」であるように感じる。「死」と「自然」をテーマにしている。

ぼくとつとしている人物だったのだろう。素朴・愚直・繊細。堅牢。

曹洞宗の宗祖・道元はこよなく自然を愛し、たくさんの俳句を書いた。

曹洞宗と自然の関係性についても別記事にて記述したい)

 

社会構造に対する思想や感情が驚くほど少ないことに驚き、羨望を覚える。

人に会った体験は、「自然風景」の一部として詩歌に書いているように見える。

 

◇雑感(ナチュラル志向ってなんかむかつくけど私も好き それがむかつく)◇

 

・前提として、私はおそらく、「ナチュラル志向」に分類される人間だと思う。(ナチュラル志向=自然回帰志向だと勝手に定義している)山にこもるのも海をぼーっと見るのも、とても好きだ。狩猟もしてみたい。ボルボックスに恋をしたので農学部に進学した。

 

種田山頭火は究極のオーガニック生活を実施したのだと思う。

現代の自然回帰の志向は、生きるに困らない金を持つ人々が「貧困でないこと」を絶対条件に、「金を使って自然という要素を生活の中で再定義する」という現象に思える。

 

そこで再吸収された「オーガニック」は「飼い殺しの自然」であり、「文化におさまるためにうまく、高度に強調された自然」であり、「私たちが自然に受け入れられるようにデフォルメされた現象」であり、「あらゆる危険を出来る限りそぎ落とされた現象」であるために、それはすでに「自然」とは言えない。

 

だから、再獲得された「自然」の中で、危険度がより高いものはより「スリリングなもの」として認知される。また、だから、私たちはデフォルメされていない自然を「おそろしくすばらしいもの」として感じる。それは生きる意味を再認知させることもある。神を認知させることもあるらしい。

 

「自然」を畏怖の対象ではなく「人間が活用できるもの」として捉え、単に「従順なもの(=かわいいもの・友愛を感じるもの)」としてカテゴライズした時点で、私たちは自然回帰することは絶対にできない。

 

マルクスは、「貧しいものは自然との親和性が高い」とし、「金を十分に得られない代わりに、自然とのつながりを断固として重要視し、棄損されないようにする。それは、貧しいものの権利である。彼らは自然が自分の仕事・身体と原始的な形で強固に結びついており、それが彼らに深い喜びをもたらしてくれることを理解しているからだ」と言っていた(確か)。

 

私たちは経済的にはマルクスの言う「貧しいもの」に区分されるのだろうか。デスクワークでは彼の言う「自然」と結びつくことができないから、代わりにプライベートでそれを代替するのだろうか。キャンプをしたり、スキーをしたり、または部屋にポトスライムを飾ったりするのだろうか。

 

本当にオーガニック生活をしたいのならば、十分条件としては宗教がまだ現存しており、神が信じられており、生活様式にその宗教が非常に色濃く反映されており、その神が設置された理由が「自然への畏怖」であるという場所ならばよいのだろうか。

 

脱資本主義をしたアフリカの部落に行けばよいのかもしれない。アメリカのアーミッシュに帰属すればオーガニックになるということではたぶんないと思う。これをうまくとらえられないのは、もう私には「自然」が定義するところがよくわからないからだ。私は生まれてから文化に適合しようとしなかった瞬間は一度もないのだろうと思う。

 

自然はずっと見えなかったし、見る必要がなかった。感覚的に言えば、目に見える程度に、過度に危険な自然はもうすでに人間に征服されかけている。残ったのは目には見えないが危険な自然であるように思う。

 

最近、哲学書と言われるものをはじめて読み始めて、本当に驚いたのは、昔といまの用語の定義や主張の文脈が明らかに「もう私が本を読んでも理解を不能にするほどに」かけ離れているということだ。これが、哲学書を読む速度が、現代書や小説・随筆を読むのに比べて大幅に遅い理由のひとつだと思う。

ニーチェにおける「文化的」とは確か、「ヨーロッパ然とした」というものだと書かれていた。世界はヨーロッパからできていたのだろうか。

彼は「じめじめとした(人として・組織として)」という単語を想起するときに、「東洋的なものをどうしても想起せずにはいられない」という。何か東洋人にいやがらせでもされたんだろうか。

それとも気候と体調をむすびつけ、体調と精神性は乖離できないものと考えていた彼は、「東洋はじめじめとした気候だから」そう思ったのだろうか。

 

 

・【以下、抜粋】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

<自嘲>(※部分抜粋)

うしろすがたのしぐれてゆくか

鉄鉢の中へも霰(あられ)

いつまでも旅することの爪をきる

 

大浦天主堂

冬雨の石階をのぼるサンタマリヤ

ほろりとぬけた歯ではある

寒い雲がいそぐ

ふるさとは速くして木の芽

よい湯からよい月へ出た

はや芽吹く樹で啼いてゐる

笠へぽつとり椿だった

しづかな道となりどくだみの芽

蕨(わらび)がもう売られてゐる

朝からの騒音へ長い橋かかる

ここにおちつき草萌ゆる

いただいて足りて一人の箸をおく

しぐるる土をふみしめてゆく

秋風の石を拾ふ

今日の道のたんぽぽ咲いた

 

<其中一人>

(中略)

雪空の最後の一つをもぐ

其中雪ふる一人として火を焚く

ぬくい日の、まだ食べるものはある

月かげのまんなかをもどる

雪へ雪ふるしづけさにをる

雪ふる一人一人ゆく

落葉あたたかうして藪柑子

茶の木にかこまれそこはかとないくらし

 

<或る友に>

(中略)

もう暮れる火の燃え立つなり

人が来たよな琵琶の葉のおちるだけ

けふは蕗をつみ蕗をたべ

何とかしたい草の葉のそよげどもすずめをどるやたんぽぽちるや

もう明けさうな窓あけて青葉

ながい毛がしらが

こころすなほに御飯がふいた

てふてふうらからおもてへひらひら

やつぱり一人がよろしい雑草

けふもいちにち誰も来なかつたほうたる

すッぱだかへとんぼとまらうとするか

かさりこそり音させて鳴かぬ虫がきた

 

川棚温泉>(※部分抜粋)

石をまつり水のわくところ

いそいでもどるかなかなかなかな

山のいちにち蟻もあるいてゐる

 

<川棚を去る>

けふはおわかれの糸瓜がぶらり

ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ

うごいてみのむしだつたよ

いちじくの葉かげあるおべんたうを待つてゐる

水をへだててをなごやの灯がまたたきだした

かすんでかさなつて山がふるさと

春風の鉢の子一つ

わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

 

<帰庵>

ひさびさもどれば筍にょきにょき

びつしより濡れて代掻く馬は叱られてばかり

はれたりふつたり青田になつた

しげるそこは死人を焼くところ

朝露しつとり行きたい方へ行く

ほととぎすあすはあの山こえて行かう

笠をぬぎしみじみとぬれ

 

<家をもたない秋がふかうなるばかり>

行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。

私はあてもなく果もなくさまよいあるいてゐたが、人つひに狐ならず、

欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。

昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、

そこに移り住むことが出来たのである。

曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 

私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。

今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。

明日は水が酒よりも好きになるかもしれない。

(以下略)

 

<山行水行>

山あれば山を観る

雨の日は雨を聴く

春夏秋冬

あしたもよろし

ゆふべもよろし

 

炎天かくすところなく水のながれくる

日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ

待つでも待たぬでもない雑草の月あかり

(中略)

夕立が洗つていつた茄子をもぐ

こほろぎよあすの米だけはある

(中略)

しようしようとふる水をくむ

一つもいで御飯にしよう

ふと子のことを百舌鳥が啼く

山のあなたへお日さま見送り御飯にする

(以下略)

 

<鴉>

水のうまさを蛙鳴く

寝床まで月を入れ寝るとする

生えて墓場の、咲いてうつくしや

(以下略)

 

<半島米を常食として>

米の黒さもたのもしく洗ふ

へそが汗ためてゐる

降りさうなおとなも大根蒔いてゐる

むすめと母の蓮さげてくる

雷とどろくやふくいくとして花のましろ

風のなか米もらひに行く

日が山に、山から月が、柿の実たわわ

萩が咲いてなるほどそこにかまきりがをる

鳴いてきりぎりす生きてはゐる

ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる

身のまはりは日に日に好きな草が咲く

 

<老遍路>

死ねない手がふる鈴をふる

とほくちかくどこかのおくで鳴いてゐる

 

<わが其中庵も>

壁がくづれてそこから蔓草

それは詩の前てふてふの舞

月は見えない月あかりの水まんまん

 

<十一月、湯田の風来居に移る>

市脇て啼かない鳥である

空きもをはりの蠅となりはひあるく

水のゆふべのすこし波立つ

燃えに燃ゆる日なりうつくしく

 

天竜川をさかのぼる>

水音けふもひとり旅ゆく

山のしづけさは白い花

 

若水君と友に高遠城址へ、緑平老に一句>

なるほど信濃の月が出ている

 

<帰居>

しみじみしづかな机の塵

朝の土をもくもくもたげてもぐらもち

 

<雨乞>

燃ゆる日の、雨ふらしめと燃えさかる

どこにも水がない枯田汗してはたらく

(中略)

月は澄みわたり刑務所のまうへ