5分で読書

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自活ニートになりたい

5月は1日だけ仕事をして、あとの30日は仕事をしていない。有給を30日分まるまる消化して、次の転職先に行くからだ。この30日でやった特筆すべきことのひとつに、「ニート界隈に出入りする。」というものがある。

具体的には、山奥ニート村3泊4日・池袋エデン利用・レンタルニート利用などである。ニート界隈ではないが、ホームレス生活補助NPOへの参加未遂などもあった。

 

ニート界隈に出入りした理由>

私は、「あるコミュニティへの強制参加により生きていくことが強制される状況」というのを少なくできればいいなと思っている。言い換えると、「仕事したいときは仕事して、仕事しないときはニートをしながら生きていけるといいなあ」と思っている。学校も同じく。

 

だが、そのための方法はわからない。なので、それらを実践している場(①ニート界隈への出入り)を行った。結果的にはだいたい「楽しかった」。「ふらふらニートっぽく生きていけるんだなあ」とも思ったが、他にもいろいろなことを思った。

 

結果的に、今は「自分で会社に雇われずに自活できるようにしたいなあ」と思っている。自分がニートっぽく生きているうえで「ニートっぽく生きていけるための環境整備」の仕事をしたらものすごくかっこいいからだ。だからまずはニートを目指そうと思う。

 

<今後どうするか>

具体的には、

1 仕事をやめた後での年収の設定

2 仕事をやめた後での生活状況の想定(最低レベル・理想レベルの両方)

3 仕事内容の設定

4 仕事をやめた後に参加すべきコミュニティの想定

 (フリーランスニート・人事系?)

 

をしなければなと思う。

1 300万円あったら楽しそう。

2 週3日5時間くらい仕事・あとは自由時間。

これは、今はものすごくできる人か、収入低くても良いという方向に振り切っている人しか実現できないと思うのだが、私のようなちょっと優柔不断なグズ野郎でもそういうふうに仕事できるように何とかしていきたい。どうやって何とかしようか…

3・4 わからない。

 

ニートっぽく生きていけるための環境整備をしたい理由(学生版)>

 

時間と場所とやることを指定されると、面白いことができる時間が減るから。

私の学校生活(義務教育期間のうち、中学・高校)は曖昧模糊としていて、どうすればわからないけど学校に行く決意だけは固めたから行くという状況だった。もちろん楽しいことはあった。「学校が嫌だから学校に行かなくてもよいようにしたい」というわけではない。

「行かなくてもいい」という選択肢を最初から消してしまうことは、あまり健康に良くないのだ。本来ならば、「学校に行くのか行かないのか」は生徒が決めるべきことで、学校が決めるべきことではない。なぜ義務教育が「義務」なのかわからない。本来的な意味合いはあったのだろうが、それは形骸化しているように感じる。今後、おそらくは「義務」がどんどん形骸化していくだろう社会のなかで、義務教育の下に生徒の行動を制約するのはかっこよくない。

 

<なぜ生徒はテレワーク?できないし、授業もすっ飛ばせないのか>

飛躍するが、これはたぶんベーシックインカムを導入すべきかという議論と根底が少し似ていると思う。高校生が学校に行かなければならない理由は、恐らくだが性悪説に基づいていて、「学校での檻の中という義務教育を課さなければ、勉強せず遊び惚け、将来を無駄にする輩が出てくるだろう」ということだと思う。

他方、ベーシックインカムも同様に根強い性悪説によってつぶされた。いろんな国(イギリス、アメリカ、カナダ等)が歴史的に導入を試みたが、失敗に終わった。一番問題なのはその理由よりもそれをつぶした方法が適切ではなかったことだったのだと思う。

 

具体的には、「財源を確保できず中断し、データがとれないまま終了」したり(カナダ)、うそっぱちのデータを持ってきて「ベーシックインカムを導入すると、みんな働かなくなって人間じゃなくなるよ!」と主張し、反対派が多くなり終了した(イギリス、アメリカ)というもの。

だが、導入実験の結果ではホームレスが半減したり、市の支出が大幅に減ったりと、いいことがたくさんあった。導入実験にかかわった職員のコメントとしては、「貧しい者(ホームレス等)は配布された資金を使い果たすかと思われたが、彼らは自分に足りないものをよく知っていた。彼らは衣服・食事にまず金を使い、これまでではじめて身ぎれいにするという行為を行った。その後、自分で仕事を手に入れるための施設(ガーデニング実習教室等)に通い始めた。」のだと言う。そして、ベーシックインカム制度を行ったほうが社会福祉制度下の生活保護職業訓練等を行うよりもずっと安上がりだったと言う。

 

同じことが少なくとも学校にも言えるのではないだろうか。

生徒はテレワーク可能、好きな時に登校。必要と思う授業を受ける。

学生に限らず、人は他人の言葉から何も学ばない。自分で勝手に学ぶ。

 

蛇足だが、村上龍の「希望の国エクソダス」では、学校の生徒がたちがもはや「世間で仕事をしていくための方法を教えてくれない学校という組織には意味がない」とし、学校に対して襲撃を仕掛ける。結果的に、学校のそれまでの教育内容は崩壊し、子供たちが「本当に意味があると思う」教育を教えるという内容にシフトする。登校時間や登校回数も任意だったと思う。活発な世界を描いた本だったと思う。